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佐渡ケ嶽部屋
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初土俵 昭和59年 5月場所
十両昇進 平成 2年 7月場所
入幕 平成 2年11月場所
最終場所 平成17年11月場所
1968年(昭和43年)5月
山形県尾花沢市に3男として今野家に生を受けました。
3500gの丸々とした赤ちゃんは、保育園に通う頃には同年の子供達より頭1つ分も
大きく、中学校へ進学する頃には、身長180cmを超えるほど成長をしていました。
小学校より始めていた柔道部へ入部、県大会団体戦準優勝の成績を残し、
その身体能力を買われ陸上競技・砲丸投げの助っ人としても入賞を果たすなど、
スポーツ万能な少年として市内で有名になるには時間が掛かりませんでした。
そんな話を耳にした先代佐渡ケ嶽親方は、その3日後には実家を訪れ、その大きな体を
迎えた両親は、テレビで見ていた横綱が家に来た事、そしてその語られる内容は
雲を掴むような事柄でした。
親方の熱心な活動は実家を訪れること10度を超え、その熱意や「私に任せてください」
と最後の親方の言葉が、両親の不安を一掃しより現実的な話となりました。
1984年(昭和59年)2月羽田空港
親方の迎える車にて佐渡ケ嶽部屋の門を叩く事となり、同年5月東京場所、新弟子検査
を受検、翌場所7月名古屋、新番付「琴今野」の四股名を貰い西序の口47枚目に
その名が初めて載りました。
現役当時は体が柔らかく、素質的にも身体的にも恵まれ素直な性格で稽古量も多く
若手力士の良い手本とされてきました。
右四つ、寄り、上手投げを得意とし、立ち合い突っ張ってから相手を充分に
組止めて出るスケールの大きな相撲は魅力満点でした。
長期戦での勝率は群を抜いて良く「ミスター1分」と言うニックネームを
付けられるなどそのスタミナと集中力も持ち味だったと言えるでしょう。
平成17年11月(福岡)場所 13日目 元横綱琴櫻(先代佐渡ケ嶽親方)の
相撲協会定年退職に伴い引退を表明しました。表明後(場所後)すぐに
琴欧洲の大関昇進と重なり、髷の付いた親方が先代親方と一緒に使者を
迎え頭を垂れる姿は、普段の伝達式とは違い珍しい出来事でありました。
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